まずはお手盛りのメンバーで!(笑)
☆Vo:デヴィッド・ボウイ歌わせたら日本一!全身みなぎるボウイ愛!
七色の声を操る達人!
故・内田達也!
☆Gt:ロック親父クイズ総本家!博多モッズ歴60年は伊達じゃない!
from LET IT BEAT!
好漢・西原正浩!
☆Ba:愛娘は大出世!今に見ていろボクだって!ex.藤原さくらトリオ!
藤原パパ・藤原宏二!
☆Dr:とにかく声が高いデカイ!(笑)蕎麦も打つならカレーも作る!
from ゴーグルズ!
TKゴーグル・タカミカズナリ!
2014年3月9日 at Gates7!どーぞ!!
目ざとい人は気づいたか?これピアノはウォンさんや!ウォン・ウィンツァン。さあそろそろ行くで。(笑)
ウォン・ウィンツァン、瞑想のピアニスト。俺ほら人生一番辛い時期いやあったんや俺にもヌボーッとしとるけど(笑)随分聴いたんや。当時はニューエイジなんて言葉が流行って俺大嫌いやねんけどこのカテゴリー分け。いやあまりにも玉石混交で胡散臭くなってしまってんねんなUFOやらバシャールやら。(苦笑)そんな中でウォンさんの珠玉の作品には随分助けられたんや。
どこがそろそろやねん全然おもろないやん!まあ黙って聞いとき。このウォンさん、元ブラウンライスや。ほらキタで!(笑)誰やねん?知らんのか?この辺男吉ぐらいしか知らんかバンちゃんは知ってるわ。でもそんなに詳しくはないやろ。ブラウンライス、ほらジムロックシンガーズの惣領泰則さん、あの人が率いてはってん。長くなるし端折ろ。MGMに認められてアメリカデビューや。概要だけいくであとは調べてまだまだあんねんこれ。(笑)そんで1973年全米ツアーやこの辺から日本でもじわじわ載ってきてんほらミュージックライフとか音楽専科とかニューミュージックマガジンとかそれしかあらへんし当時は。ちなみに俺中2。
それ聞いてまあ音源も聴いたんやろ。動いてん彼が。キタキタ!彼?ポールやがな!指パッチンちゃうでおもろかったけどなあの人も確かに。俺がポールて言う時はポール・マッカートニー大王の事やこれ憶えといて!ボクはウェラー!まあ頑張りや。だからほらポールが来たんやアビーロード六本木ちゃうでわざと長くしてるやろ?てへっ!3時15分なんや分らんようになってきよったまだまだ序盤やでこれ!
第一部終わり。休憩。
ぴよぴよぴよ♪
休憩終わり。第二部。
死ぬわ!
「チミらなかなかイケルやん!このクソ曲歌って儲けてほなさいなら~!」
いきなりくれたんやモロゾフのチーズケーキちゃうでもうええかいやモロゾフしか知らんしでも確かに美味いで税込み1100円買うてんのかい!
「カントリー・ドリーマー」、ウイングスのお蔵入りの曲や。後になって出しよったウイングスもだからラブウイングスは大阪のねえちゃん達やろ「愛しのヘレン」のB面や。あーあの曲!知らんやろ君知ったか君嫌われるで。
一曲入れます2階の入り口でタバコでも吸うてきて。ぎゃふん!
なあおもろいこれ?俺自分でおもろうてしゃあないけどここフォロワー1人、俺だけや。ドボン!
第二部終わり。第三部。
「カントリー・ドリーマー」日本語盤で出たんやこっちでは。阿久悠作詞!まあ力金つぎ込んどってんB面英語盤。しかして見事な空振りもうその時点すでに幻のグループや。
まあ今になってオタク親父達が知ったかでよう話題にしとるけどな平川君。「ボクそんなに知りませんよ!」まあ寝とき4時17分。
でもちょっともったいなかったな。ヴォーカルの惣領智子さん、当時リーダーの奥さん。別れはってんけどな。今なんか瞑想やってはるわチャクラがどうとかいう奴や本出してはるし、そゆ人多いな札幌。なっつかし札幌一人しか分からへんし。
まだあんねん4時31分。リーダーの惣領奏則さん、その後アレンジャーでええ仕事してはる。「あなただけを」、「贈る言葉」、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」これええ曲や。
その惣領さん実はこっち側の人。俺側なだけか。(笑)俺にとっては一番重要なキャリアや。ぶっちゃけ他どうでもええねんカントリードリーマー別に好きちゃうし。(笑)行くで。ブラウンライスの前の話や。今日はこの話で終わろ。ジムロックスとかはまた今度。1949年生まれの惣領さん、1969年に初リーダーバンド結成、これがシングアウトや!またキタ101やピコさんがキーボードや!「ステージ101」第一回からシングアウトレギュラーでコーナーも持ってはってん。あのほらワカとヒロのGSザ・バロン、この2組はバンドごと丸抱えや。101は知らんやろけどここで入魂の記事書いたんでそっち参照して。最後に貼っとくし。頑張ってんねん!フォロワー俺だけや。5時3分。
最後の最後。ヤング101の一番の代表曲、かぜ耕士作詞・中村八大作曲「涙をこえて」、あれオリジナルはシングアウトや。じゃまくさいコピペコピペ!(笑)
>シング・アウトは、当時元麻布にあったMRA日本支部の本部に出入りして音楽活動をしていた高校生の樋口康雄を迎えて、NHKのオーディションに合格し、翌1970年から総合テレビで放送が予定されていた新しい音楽番組『ステージ101』にヤング101[1]のメンバーとしてレギュラー出演することが決まった。彼らは放送開始の約半年前の1969年7月25日、ヤマハ音楽振興会が開催した音楽コンクール『第1回合歓ポピュラーフェスティバル'69』に出場して、『ステージ101』の音楽監督になった中村八大が作曲した「涙をこえて」(作詞・かぜ耕士〕を披露して作曲グランプリを獲得し[2]、同年11月5日に同曲をデビュー・シングルとして発表した[3]。そして、翌1970年1月10日に放送が始まったステージ101にヤング101のメンバーとして出演し、「涙をこえて」を番組オリジナルソングとして披露した[4]。やがて番組との志向性の違いが明らかとなり[3]、1971年4月3日に樋口を除くメンバー全員がヤング101を卒業[注釈 1]。同時にシング・アウトは活動を停止して消滅した。<
ほな聴いて、シングアウトで「涙をこえて」!デヴィッドボーイズどこ行ってん!?5時19分。寝ろ!
これ入魂の101投稿!フォロー俺一人。しつこいわ!(笑)
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